連休中に長年の執着を一つ手放した

手放す、掃除、片付け

こんにちは、まろです。

この連休中、ずっと気になっていたモノを手放すことにしました。

それがこちら↓

これはケーキ作りの道具一式です。

元々お菓子作りはしてこなかったのですが、数年前に、当時閲覧していたミニマリストの主婦ブロガーさんが、子供達のためにケーキを日常的に手作りしていて、そういう生活に憧れて「ケーキ作りを習ってみよう」と思いたったのです。

そうとなったら私は基礎からプロにしっかり学びたいタイプなので、インターネットでパティシエが開催するケーキ教室を見つけ、1日3時間の2日で数万円のスポンジケーキコースを受講したのでした。

1日目で作り方を学び、3週間後の2日目までに家で練習して、2日目には自分が焼いたスポンジを持参して先生に評価してもらうというもので、1日目の帰りにその足で電気屋へ直行してハンドミキサーを買い、その他の道具も数日で一式揃えて練習に励んだのでした。

この教室は、プロもこの先生に学びたいということでやってくるようなケーキ界では有名らしいパティシエさんだったので、レベルも高く、理想通りのしっかりした基礎が学べてとても満足でした。

また、この教室で学ぶスポンジ作りは、とても理論的で緻密な計量と時間配分と手順で成り立っていて、例えば、赤外線温度計を使って卵の湯煎温度を計ったり、生地を混ぜる時は、この角度でへらをこの角度に滑らせてこのタイミングでへらを返して、タイマーを見ながらこのリズムで●●回混ぜる・・・といった、感覚値ではない数学的な手順で組み立てられていて、それが私にはとても合っていました。

感覚値に頼らないので、初心者の私でも数回の自宅鍛錬でキメの細かいふっくらとした、かつしっとりとした厚みのあるスポンジが焼けるようになりました。


「これで私もスポンジが焼ける」という満足感を得て、その後、年に数回自宅でスポンジを焼いていたのですが、そのうち焼かなくなり、道具だけがキッチンの戸棚にしまわれたままとなっていたのです。

ケーキを焼かなくなった理由

スポンジケーキを焼かなくなった理由は、いくつかあり、

一つは、材料を集めるのが大変ということ。

教室では、扱う材料を重要視していて、例えば小麦粉は日清のバイオレット、キメの細かいグラニュー糖、卵は新鮮なヨード卵光、バターも鮮度が高いもの、水飴も使う、、、というように、素材の香りを活かしたケーキ作りというのを教わりました。

まぁ当たり前と言えば当たり前のことなのですが、ケーキを作ろうと思うとこれらの材料を集める必要があり、集めてケーキを焼いたとしても連続して何回も焼かないので、集めた材料が余って全部使い切らずに賞味期限を迎えてしまうことが重なり、それを思い出すと手を出しにくくなったこと。

また、「精製された砂糖は体に良くない」ということを知ったこと。

また、ケーキに限らずスイーツ全般は血糖値の上昇を招き、糖尿病リスクが高まるので、できるだけ控えようと思ったこと。

など、主に健康面からのリスクが気になりだして、ケーキ作りから遠のいていたのでした。

実は、手放せなかったのはモノではなく執着だった

恐らくもう作らないとは思いつつも、なかなか手放せなかった理由は、

「ケーキ作りができるという自分」を手放すことができなかったからです。

「ケーキ作りができる自分」は、いつかののように「女性らしくて丁寧な暮らしをしている自分」であって、どこかでそういう生活を送っている自分を他人から認められたいとか、ケーキが作れるという自慢、優越感という醜い煩悩であったり、ケーキが作れるという過去の成功に対する執着が手放せなかったのです。

今振り返ると、そもそも出だしが「ミニマリスト主婦ブロガーさんに憧れて」とという動機だったので、その時点で既にゆがんでいますよね。

自分が置き去りになっていて、自分の生活に満足していなくて、自分にも自信がなくて、他人の真似をしたらどうにかなると安易に飛びついている。

しかし、ここ数ヶ月ずっと自問自答してきて、そういった承認欲求や優越感や過去の成功といった醜い煩悩を手放したいと思い、この連休に行動に移したのでした。

別にケーキが作れるからって人間の価値が高いわけではなく、そういう生活を送っている人はそういう人、自分とは違うと、自分が人生で大切にしたい価値観が明確になってきている今となっては、どうでもよく思えてきました。

新しいこと、知らないことを知るのは楽しいでの、ケーキ作りの世界を知れたのは良かったですが、マスターしたのでもういいかなと思えました。

モノは心を映す鏡

今身の回りにあるモノについて、

  • なぜそれを持っているのか?
  • なぜそれを買ったのか?

という問いかけをすると、本質が見えてくると思います。

その理由が他人軸であったなら、それは一刻も早く自分と向き合って自分軸を取り戻し、場合によってはそのモノを手放すことができると思います。

他人にどう見られるとか、こう見せたいとか、他人より優位に立ちたいとか、過去の成功にしがみつくとか、そういう醜い執着は素敵ではないので、

私は私で、徳を積み、内面を磨き、持って生まれた素材を磨き、素材を生かす装いをし、笑顔で暮らしたいと改めて思った次第です。

今ここを一生懸命生きる。

禅の教えは最強です。

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