こんにちは、まろです。
今回も、いかに自分が無知で愚かだったために、動物たちにも自分の身体の細胞たちにも良くないことをしていたかの気付きの共有でございます。
今年に入り、食品添加物の事実を知ったことに加え(過去の投稿→【食品添加物】の闇を知り、食生活を見直し中)、安い食べ物の事実を教えてくれた次の本を読みました。
私、本当に無知で麻痺していてバカだったと思い知りました。
世の中には「おっ、安い!お買い得!」と購買意欲をそそられる価格の商品が出回っていますよね。
ついその目の前のお買い得価格だけに目がいって、「なぜこんな値段で売ることができるのだろう」と考えたこともなかったのが今までの私でした。
そもそも、
- 安く売るためには、原価を下げないといけない。
- 原価を下げるには、安い原料を仕入れる。
これは企業経営からすると当たり前のロジックです。
そしてこの本で取り上げられていた安い原料のからくり。
例えば1パック10個入り100円の卵。
こんな安い値段で卵を生産できるなんて、よく考えると不思議ですよね。
この裏側に隠れている生産現場の実情は。。。
「密飼い」といって、羽も伸ばせないような超過密状態でニワトリが飼育されているのです。近づいただけで耐え難い異臭がするとのこと。
そういった場所では、もはやニワトリは生き物ではなく機械の一部のようだと筆者は語っています。
中には「ウインドウレス鶏舎」といって窓のない鶏舎があり、これは光をコントロールすることで、ニワトリに1日の長さを勘違いさせ、17時間サイクルで早く卵を産ませて卵の生産効率をアップさせるのです。
こんな劣悪で不自然でストレスの多い環境に置かれると、 当然、ニワトリの体も弱り、病気にかかりやすくなります。
そんな状態で何かの病原菌が入ってきたら、またたく間に鶏舎全体に広がってしまい、生産業者はそれを一番恐れています。
では病気にさせないために何をするかというと、エサに抗生物質を入れるのです。抗生物質の大量使用が続くと、やがて鶏舎の中でも耐性菌ができるため、さらに別の抗生物質を使う・・・といった悪循環が起きているのです。
その卵を食べている人間にも、当然、抗生物質は移行してきます。
1パック100円の卵など、本来あり得ないこと。
その安さの代償を知らずに、何も考えずに目先の安さにだけ飛びついていた自分が本当に情けないです。
「ニワトリが先か卵が先か」という話になりますが、
安いものが売れるからメーカーは製造する。 需要があるから供給する。
安くて質が悪く、体に悪い食品を我々消費者が好んで買うから、スーパーには安さ追求で安全性が疑われる食品が並ぶ 。
そして、手間隙かけて作られた安全でそれなりの値段のものが売れないから、良質な生産者さんたちは廃業を余儀なくされ、ますます安全な食品がスーパーから消えていく 。
品質よりも安さで買い物をする消費者の責任 を考えさせられる事実です。
逆を考えると、消費者の購買行動は、良い生産者を認める行為だと思うのです。
なのでこれからは、実態を正しく捉えて、自分で考えて、良き生産者を応援するつもりで消費しよう思いました。
そういう訳で、今はニワトリさんが健康に暮らしているであろう高めの卵を買うようにしています。
高めといっても6個入り200円〜300円くらいです。1個40〜50円くらい。
卵は良質なタンパク質、栄養源であるため、決して高くはないという感覚です。
1袋100円の身体に悪いスナック菓子よりよっぽどお買い得でコスパが良いです。
ここでちょっと横道にそれますが、、、
今回の本を読んで、ニワトリさんや牛さんの実情を知り、苦しくなりました。
私は動物虐待が本当に悲しいです。
動物虐待をする人間というものが嫌いです。
動物だけでなく、地球上のあらゆる生物、環境を自分本意の強欲のために操作、破壊する人間が嫌いです。
生物の頂点に立っていると誤解して偉そうにしている人間が本当に嫌いです。
そういう私も人間であり、自分の中にもそういった我欲、煩悩があるのが苦しくて、それをなんとかしたくて禅や仏教に惹かれてきたのだと思います。
「私」なんてものは、細胞、原子の集まりに過ぎず、地球上の生物と何ら変わりはありません。
「私」を生かしてくれている細胞たちが尊く、大切であるように、地球上の生物も同じく尊く、大切なのです。
今の快適な生活は、数々の犠牲の上に成り立っているものであり、強欲な人間の生産活動の恩恵を受けているのは間違いなく、しかしその現実・事実を正しく知り、できるだけ生物に、環境に優しい取り組みの方を選択し、あらゆるものに感謝して、謙虚に生きたいと思っています。
そういう価値観は根底にあるのですが、
月曜日になるとまた目の前の仕事や生活に引き戻され、4月から交替した今の上司が最悪なのでストレスが溜まったりと(笑)、娑婆の世界に振り回されてしまうのが現実です。
そんな現実において、根底の価値観を中心に据えて、いかに心を整えて過ごしていけるか。
毎日が修行です。