こんにちは、まろです。
「いつか使うかも」のジレンマ。
執着を手放すのは生涯の修行ですね。
色々モノを手放し、ダウンサイジングし、かなりすっきりしてきましたが、有名なミニマリストさんたちの域にはなかなか達しません。
そんな、いわゆる「停滞期」に、捨てを加速させてくれた契機は、過去にもご紹介した「骨格診断とパーソナルカラー診断」がありました。
こちらは、そもそも自分に似合わないテイストの客観的診断が下されるので、靴や洋服や装飾品の捨てを加速させてくれました。
そして、その後に再び訪れた停滞期。
色々調べていて、ついに出逢った最強思考と言葉。
それは、
「もったいないを取るか、運気を取るか」
モノには魂があり、長らく使っていないモノからは「衰気」や「殺気」という気が発せられ、運気を大きく下げる原因になるとのこと。
モノからしたら「なんで使ってくれないんだよ。。。」と恨みの一つも言いたくなるのでしょうね。
逆に、日頃から大切にして使っているモノからは「嘔気」という良い気が発せられているのです。
「運気」というと、少し胡散臭いと思われるかもしれませんが、私は風水(≒環境学)を信じており、人は環境によって大きく左右されることは経験から分かるので、「確かに」と思いました。
「人は大切にしたものからしか大切にされない」
これも刺さる言葉ですが、
プロ野球選手のイチローは、自分のバットやグローブなどを、誰にも触らせず、試合の前と後には必ず感謝の心を込めて「ありがとう」と言いながら丁寧に磨いているそうです。
世で大成功している人の家に共通するのは、モノが少なく、家具も最小限で床が広々と見えていて、あらゆるところがピカピカに磨かれている。
逆に、貧乏人の家や、鬱や病気がちの人の家にはモノがあふれていてホコリが溜まっている。
ドラマの演出でも、貧乏人の部屋を作る際には、家具やモノで部屋を敷き詰めて、壁や冷蔵庫にベタベタとカレンダーや紙などを貼って、ごちゃごちゃとした部屋にするは演出の鉄板らしいです。
「運気」という考え。
私は、モノより運気を取ります。もったいないより運気を取ります。
「今」使わないモノたちに感謝しながらお別れをし、残ったモノたちを大切に使っていくと心に決めました。
迷ったら「もったいないを取るか運気を取るか」という言葉を自分に投げかけて判断力を加速させようと思います。
こういう片付け系の話をしていても、どこかで禅につながっているのが面白いところです。
「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)
足下をみよ。今ここに集中せよ。
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