掃除は心を磨く【禅語】一掃除二信心

手放す、掃除、片付け

皆さん、掃除は汚れたところをきれいにする行為だと思っていませんか? 

もちろん、目に見えて、家具や床や雑貨の上にたまったちりやほこりを物理的に取り去ってきれいになるという効果があります。

 ちりやほこりが取り去られて、そのモノの持つ本来の姿がよみがえるのを見ると、とても清々しい気持ちになります。

くすみのないクリアな窓ガラス、きれいな木目のテーブル、輝く蛇口、観葉植物の生き生きとした葉っぱなど。 

しかし、実は掃除をすることで、そのような物理的に目に見えるところの効果だけでなく、目に見えないところへの効果がはたらいているのです。 

それは「こころ」に対するはたらきです。

掃除したあとの清々しい気持ち、スッキリ感、空気まできれいになった感覚、なんか前向きなれる、やる気が出てくる、次の行動への足取りが軽い感じ。身に覚えはないでしょうか。 

掃除中は、無心にその行為に集中することができます。その一拭き一拭きの行為が、実は心のちりを一拭き一拭きで払っているのです。 

よく言われるのは、心を病んでいる人や、人生が上手くいっていないと感じる人の部屋は、モノやゴミがあふれ、ちりやほこりが積もって、いわゆる「汚部屋」となっています。 

部屋はその人の心を映す鏡である」とは、上手く言い当てた表現です。

禅語【一掃除二信心】

  さて、禅には【一掃除二信心】(いちそうじ にしんじん)という禅語があります。

 信心はいうまでもなく修行の基盤であり、何よりも優先されるべき要素なのですが、しかし、禅では、掃除をそれよりも上位に位置づけているのです。

なぜなら、掃除はその場所をきれいにするだけではなく、自分の心についたちりやほこりを払い、さらに磨く行いだからです。

禅寺では、ちり一つない床も全身全霊を傾けて毎日磨きあげます。

心を磨くことに「もう十分、これでいい」ということはないのです。 

「なんかモヤモヤするなぁ~」、「今日は嫌なことがあった。。」、「人生うまくいかない。。」、などと思ったら、ますば余計なことを考えずに掃除を始めてみてください。

とりあえず目の前のゴミを拾いゴミ箱に入れてみる。とにかく何も考えず手を動かしてみてください。 

心はあとからついてきます。掃除で心が整うのです。 

思うのですが、世の中には、お金を払って他人に掃除してもらったり、お掃除ロボットを導入したりしている人も増えてきているようですが、私は、他人や機械に掃除を任せるのは本当にもったいないといつも思っています。自分の人生を好転できる機会を、お金を払ってまで他人や機械に譲ってしまうなんて。と。

 現代人は皆忙しいので、「忙しくて掃除する時間がない」と、掃除の優先順位を下げて後回しにしがちなのですが、心の安定は、すべての活動をより良く行うためのベースとなるので、心の安定につながることは、優先的に時間を割いて行いたいものです。掃除しかり、睡眠しかり。

 テレビやYoutubeを目的もなくだらだらとみたり、人の噂話や愚痴をこぼす暇があるなら、掃除に時間を割く方がよっぽど人生を豊かにしてくれます。

「たかが掃除」と言わず「だから掃除」なのです。

人生における掃除の優先度を少し上げてみてはいかがでしょうか。 

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