何も持たずに生まれてきた
それが人間本来の姿だという言葉です。
人は生きている間にさまざまなモノを手に入れます。
一度手に入れたモノを手放すのは苦しいものです。
なぜなら、手に入れてきたモノは、自分が生きてきた証(と思い込んでいる)だから。
モノは所詮モノに過ぎず、たとえそれを失ったところで、本来の姿に戻るだけなんですよね。
私は、モノを手放す時の一つの基準として、自分が突然亡くなったとして、人に見られて恥ずかしいものは処分する、としています。
この基準で処分したものは、
・手紙
・特に美人に写っているでもない写真
・ヨレヨレの下着
・昔の心の闇を映す自己啓発本(笑)
などがあります。
また、亡くなればあの世には何も持っていけないということをいつも思い出します。
通常、棺桶には故人のお気に入りを入れるということをしますが、
みなさん、想像してみてください。
自分が亡くなった時、棺桶に今ある持ち物(=ガラクタ)を全部詰め込んで欲しいですか?
私はごめんです。
私は何も入れて欲しくありません。
なぜなら、人工的なモノと一緒に身体を燃やされたら、化学物質と骨が混じり、上手く地中で分解されず、命の循環の妨げになると思うからです。(私は樹木葬希望です)
早く土に帰って、微生物の餌になり、別の命、細胞の肥やしになって、命の循環に貢献したいです。
話がそれましたが、
結局、亡くなればあの世には何も持っていけないのです。
持っていけないということは、つまり、残された誰かが、自分のガラクタを処分しないといけないのです。
亡くなった後まで、人に迷惑をかけたくないですよね。
結局、いつ何が起きるか分からないので、
過去や未来を憂うことなく「いまここ」に集中して、モノに執着せず、
日頃から必要最低限のお気に入りのモノだけを丁寧に使い、つつましく生きたいものです。
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