禅寺の廊下から、生き方を学ぶ

ミニマル思考

こんにちは、まろです。

先日、スマホの写真整理をしていて、眠っていた2枚の写真を見つけ、改めて生き方の方向が明確になったので、皆さんと共有したく思います。

その写真がこちら↓


いずれも、曹洞宗の大本山 永平寺と總持寺の廊下の写真です。(曹洞宗には大本山が2つあります)

廊下がピカピカで、窓からの景色が映り込むほどです。

こちら、参禅研修に参加した時に撮影したのですが、実際ちり一つ落ちていなくて、ピカピカでツルツルでした。

雲水と呼ばれる修行僧たちは、毎日掃除をし、こちらの廊下も毎日水拭きをしています。

以前、禅語「一掃除二信心」をご紹介しましたが、禅では、数ある修行の中で掃除が一番大事だと位置付けているのです。

なぜなら、掃除はその場所をきれいにするだけではなく、自分の心についたちりやほこりを払い、さらに磨く行いだからです。

なぜ、掃除がこころを磨くのか

別の禅語に「前後際断」というのがあります。

こちらは、時間を過去から未来へつながったものとはとらえず、一瞬一瞬を重視せよという教えです。過去や未来ではなく今を重んじよということです。

  今目の前にあることに専念する、集中する

  今目の前のやるべきことに必死に取り組む

  今目の前のことを、いちいち丁寧に取り組む

目の前のことに集中していれば、過去を悔やんだり、未来に不安を抱くことはないのです。

掃除を毎日繰り返すことで、こころの迷いや不安を打ち消していく。

それが最も大切な修行なのです。

禅寺の廊下は私の目指す姿

今回この写真を通して、

単に掃除の大切さと楽しさを思い返しただけでなく、

老いていく自分の目指す姿を見出せたような発見がありました。

それはどの角度からの発見かというと、

年月を経た古い廊下であっても、毎日掃除して磨いていれば、味が出つつ、清々しく美しいということです。

これを自分の生き方に置き換えると、

老いていく身体であっても、隅々まで清潔を保ち、身につけるモノも過ごす空間も清潔を保っていれば、人間の深みが出つつ、清々しく美しくいられるということです。

今回この廊下の写真から勇気をもらいました。

清潔を保つために心がけていること

隅々まで清潔を保つこととして、私が心がけていることは、

  • 毎日お風呂に入る
  • 定期的に美容院に行く(私は月1回通っています)
  • 定期的に歯医者に行く(歯周病、口臭予防のため、私は2ヶ月に1回通って歯のクリーニングをしています)→詳しくはこちら
  • 毎食後歯を磨く
  • 定期的に顔の生毛を剃る
  • 爪は伸ばさず、いつも短く切りそろえる(煩悩丸出しで、盛ることで不潔に見えるマニキュアもしない)
  • 毎日掃除(トイレ掃除も毎日)、洗濯をして、汚れをためない など


当たり前のことが大多数ですが、こういった心がけを毎日繰り返し繰り返しやっていく、目の前のことだけに集中し、それをただただ積み重ねていく。

今でも毎日十分幸せなのですが、この生活を積み重ねていくことで、いつかこの廊下のように美しい佇まいになれると確信しました。

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