こんにちは、まろです。
先日、年末にあえての大掃除はしないと言いましたが、
世間の大掃除ムードになんだかそわそわして、私も何か思い切ったことをしたいと思いました。
そこで、少し前から頭の片隅に浮上していた「今は殆ど使わないけど、高かったし、きれいだし、使う機会もあると思うし・・・」とぐるぐる言い訳をして収納庫の奥にしまっていたモノを思い切って手放すことにしました。
それが、こちら。 ル・クルーゼのお鍋です。
数年前に●万円?で購入しました。
22センチと大きめで、煮物料理で使っていました。
当時は、ご飯の定食化もしていなかったので、たまにこの鍋で根菜類やおでんなどをじっくり煮込んで、美味しく食べていました。
確かに煮物料理などは、このル・クルーゼの重い鉄蓋によって鍋の中に圧力がかかり、具材の中まで味が染み込んで、美味しく出来上がっていたのではと思います。
ただ今思えば、別のステンレス鍋でじっくり煮込んでも美味しくできるし、多分私の味覚では誤差の範囲内で、「ル・クルーゼでなければ」というほど味が分かるタイプではなないのだと思います。
手放せなかった理由
なかなか手放せなかった理由は、
- 値段が高かった
- 使おうと思えば使える
- 使いたいと思う時もある(思うだけで使わないが。。)
- 「ル・クルーゼ」を持っていて、それで料理をしているという「できる女子」感への陶酔
・・・結局、醜い煩悩、過去への執着にすぎませんね。
手放そうと思った理由
手放そうと思った理由は、
- ここ1年は使っていない
- 鍋が重くて、取り出すのも、洗うのも一苦労
- 鍋や蓋のふちが錆びやすい
- やっぱりあまり好きな色ではない
- 他の鍋でも問題ない
- 「使いにくい」というのを実は知っている
そして、
- 「使っていないものは運気が下がる」
という最後の一押しの最強の言葉を発動し、手放す行動に移しました。
このお鍋さんには申し訳ない思いがあるけれど、「もうこんな買い物の間違いはしない」という学びを与えてくれた役割に感謝しています。
ここで、また当たり前の概念にはなりますが、
- 両手一杯にモノを持っていたら、新しいモノがもう持てない。
- 新しいモノを持とうと思えば、何かを手放さないと持てない。
- モノは自分からは歩いて出ていかないので、人が外に出さない限り家の中に居続ける。
- モノを入れることばかりして、出すことをしないのは、どんどん食べて、でも排出はせず、それでもどんどん食べ続けて、お腹に排泄物を溜め続けるのと同じことなのだ。。。それを何年、何十年と溜め続けているのと同じことなのだ。。。(こわっ)
「入れたら出す」
至ってシンプルな考えです。
何事も、客観的に眺めて、本質、真理を考えれば、目先の行動の制御ができるような気がします。
古いモノ・使っていない両手一杯のモノは意識的に手放し、新しいモノを取り入れる余白(片手をあける)を確保しておき、常に流れ続ける清流のように人生を循環させていきたいものです。