履き物をそろえましょう
履き物をそろえると、心もそろう
心がそろうと、履き物もそろう
脱ぐときにそろえておくと
履くときに心が乱れない
誰かが乱しておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう
脚下照顧
禅語に【脚下照顧】というのがあります。
これは、脱いだ履き物をそろえましょう、足元をしっかり見ましょうという意味です。
履き物をそろえられないのは心が乱れているからなのです。
足元を見つめられないのは、気持ちがどこか浮わついているからでしょう。
足元は自分が今まさに立つところ、置かれた場所なのです。
そこからしか前への一歩は踏み出せないのです。
踏み出す足元が緩んでいると次の一歩も揺らぎます。
まず、今この瞬間の自分に意識を向けることが大事なのです。
そして、もう少し心が成長して余裕がでてきたなら、次は周りを見渡して、周りの人にも手を差しのべましょうということなのです。
世界中の人、地球上の植物、動物、全てのいのちに、心を傾ける余裕を持ちたいものです。
コメント
はじめまして。添加物を調べていて、たどり着きました。
なんとなく読ませていただいて、とても共感を持てる内容ばかりで
しばし、ブログを読ませていただきたいと思います。
さて、伺いたいのですが、「禅で人生が変わった」というようなお話でしたが
出会いのきっかけ、感銘を受けたものとは何だったのでしょうか??
本だったらその禅の本を読んでみたいと思いました。
なにか、禅語集でおすすめがあれば教えていただければ助かります。
いまある日本人の基本的な生活習慣にはたくさん禅のお作法がしみ込んでいると何かで見ました。(玄関は禅らしいですね)
そういったものを読んで自分のアイデンティティの確認をしてみたいと思いました。
ちなみに、カレンキングストンは私も30代で読んでからバイブルです(私は今アラフィフなので20年くらい前で))
あの本を読んで 物がエネルギーを発して、無意識のうちに所有者を停滞させるという理論に衝撃を受けました。
その後、断捨離するようになり、不要物をため込まないようになりました。
長文となってしまい失礼いたしました。
まだまだ蒸し暑い日々が続いておりますのでおお体ご自愛くださいませ。