こんにちは、まろです。
毎日思考があっちこっち行き来します。
一方は、目の前の出来事、現実社会で
会社の部長の嫌味にストレスを感じたり、マスク生活で口元がたるんできたとブルーになったり、スーパーでレジに並ぶ人が居なくてラッキーと思ったり。
もう一方は、もっと大きな概念で、
「私」というものは37兆個の細胞たちの集まりにすぎず何の実態もないとか、人に生まれて今ここに生かされていることは奇跡だとか、煩悩を手放して自我に執着せず、慈悲の心で生きたいとか。
この、後者の大きな概念の方を呼び起こしてくれるコンテンツの一つが NHK Eテレの「こころの時代」という番組なのですが、
(以前の投稿 ご参考→禅シンプルライフ おすすめのTV番組 2選)
先週と先々週は、遠藤周作の「深い河」という彼の遺作を2週に渡って取り上げており、そこから新たな学びへつながる出会いがありました。
番組の内容は、「深い河」に込められた遠藤周作の価値観や、「深い河」から読み解ける宗教というものや人間の生き方について考えさせられるものでしたが、この番組内で、マザー・テレサ、ガンジーという偉人の話が出てきて、改めて今の自分の未熟さ、煩悩に振り回されている不甲斐なさを思い、「彼らのような生き方、慈悲の心を少しでも身に付けられるのなら」と、早速関連する3冊の本をamazonでポチりました。
番組内で「ガンジーすごい!」と思った彼の印象に残る言葉を引用しますと、
私はヒンズー教徒として、本能的に、全ての宗教が多かれ少なかれ、真実であると思う。全ての宗教は同じ神から発している。
しかしどの宗教も不完全である。なぜなら、それらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。
さまざまな宗教があるが、それらはみな、集まり通ずる様々な道である。
同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をだどろうと構わないではないか。
皆、「自分が正しい」と思うから宗教の対立が起こり、幾度となく宗教起因の戦争が行われてきた。
宗教に限らず、現代社会における紛争、喧嘩、事件などは、「自分が正しい」という傲慢な考えから起きているのではと思う。
「自分は不完全なんだ」と思う謙虚さ、そういう生き方を、私は求めていきたいと思いました。
人間なんて地球上で偉くもなんでもない。
苔、草木、アリ、カラス、プランクトン、クジラなど、地球上の生命は全て同じ命の重さである。
地球はみんなのもので、自分だけ良ければ良いという考えは傲慢で、そういう考えで好き勝手していると地球はいずれ滅亡してしまう。
こんなにも美しい星、地球を汚したくはない。
・・・と、今もなお、果てしもなく思考があっちこっち行き来します。
目の前の出来事と大きな概念は、今は両極端でそれぞれの端っこにいるのですが、この2つの距離が縮まっていき、いずれ一つになれるよう、つまり、大きな概念で現実社会を歩めるよう、毎日が修行だと思って生活しているように思います。
当面の課題は、毎日自分が優越感を得たいがために部下を非難し、嫌味ばかり言うバーコードの部長に対して、慈悲の心を持って心から彼の幸せを願えるようになることでしょうか。。
道のりは果てしない。。。