こんにちは、まろです。
年末ですね〜。
皆さんは「年賀状」を書くでしょうか?
スマホが普及した今、職場の若者に聞いてみたところ「年賀状なんて書かないよ〜」と軽く返ってきました。
正直、「うらやましい」と思ってしまいました。
ということで、私は今も年賀状を書いています。
年賀状を続けている相手は、スマホが普及する前に知り合った友人で、
スマホ普及以降に知り合った友人とは、年賀状でなくLINEでの挨拶をしています。しない場合もあります。気が向いたらするという感じ。(気楽〜)
年賀状の枚数は減って20枚程度ですが、プリンターを手放した今、宛名は全て手書きで結構大変です。
とはいえ、本当に気のおけない友人には喜んで書けるのですが、
問題は、あまり仲良しでない友人です。
「それを友人と呼ぶのか!?」という感じですが、(苦笑)
具体的には、学生時代になんとなく入っていた女子グループのメンバーで、表面的に付き合っていたような関係の薄い人たち。
学校卒業以来一度も会っていない、20年以上会っていない、でも年賀状だけは続いているという人たちがいるのです。
彼女たちは、結婚して子供もいて、毎年子供の成長記録写真付きの年賀状を送ってくれるのですが、私は独身で大した報告もなく、惰性で、義理で送っているような状態なのです。
本心は「辞めたい!」と思っており、恐らく相手も同じことを考えていると思うのですが。。。
辞めたいのに辞められない葛藤の裏には、「もしかしたら」というありもしない将来への不安があるのです。
どんな不安かというと、
その女子グループの中には本当に仲良しの友人もおり、その友人とは年賀状のやり取りを続けたいのですが、もし将来、同窓会などの一同に集まる機会があって、片方の友人には年賀状を送り続けているけれど、もう片方の友人には年賀状を出すのを辞めた、というのがバレたら気まずいなと思うのです。
今までこのモヤモヤした感情に向き合って来ず、惰性で年賀状を書き続けてきたのですが。。。
「一体私は何に執着しているのだろうか」
と考えてみました。
そして答えが出ました。
それは、「みんなに好かれたい」という執着です。
でも待てよ。
みんなに好かれるなんて不可能だし、ウマが合う/合わないはあるし、
その友人に嫌われて関係が悪くなったからって、私の人生に影響はない。
「過去にタイムスリップしてもう一度友人になりたいか」と問われたら、別にならないと即答できます。
これはモノを手放す基準と同じだなと思いました。
「そのモノを手放したとして、もう一度お金を出して買いたいか」
今までも何の関わりも持って来なかったし、お互い必要ともして来なかったし、元々ウマが合わなかったのだから、将来も私の人生に関わることはないだろう。
ミラーリングと言って、自分が思っていることは相手も思っている。
辞め辞め〜! 辞めた!
もうそんな人たちとの年賀状は辞める!
もうそんな人たちに年賀状を出すのは辞めて、フェードアウトすることにしました。
もし万が一、将来その人たちに会う機会があったとしても、
「あ〜年賀状ね〜、もうこのデジタルのご時世、辞めてもいいかなと思って〜」と軽快に答えようと思います。
そういう表面的な関係の人には、表面的な回答でいいと思います。
そういう表面的な関係の人には、どう思われたっていいです。
気まずいのはその一時だけだから。
そう決めた途端、とても気分がスッキリしました。
人生の時間は決まっている。何にその貴重な時間を使うのか。
選択と集中。
本当に大切な友人との関係に貴重な時間を充てて、有意義な時間を過ごしていきたいです。