禅シンプルライフでもキラキラアクセサリーは必須

ミニマル思考

こんにちは、まろです。

今回はアクセサリーの話です。

禅(仏道)を追求すると、欲望や煩悩を手放して質素な身なりで日夜修行に励む、という生き方になっていくと思います。

実際、よく遊びに行く禅寺の尼僧さんは、もちろん頭は剃っており、服装も普段は作務衣(サムエ)という地味な色合いの綿の作業着で年中過ごされていますし(出家しているから当たり前ですが)、

また、出家していないけれどもこの娑婆の世界で禅道にはまっているお姉さまの友人は、「休日は24時間作務衣でいいわ〜」と言っており、会う時もほとんど作務衣姿で、白髪も染めず、化粧っ気もなく、尼僧さんに近い生活を送られています。 

私はというと、まだそこまで禅道を極められていないというのもありますが、私は今のところ禅道と娑婆の世界の両方のいいとこ取りをして幸せに暮らしたいと思っているので(欲張りです)、そこまで質素倹約を徹底した生活はできていません。

さて、アクセサリーの話ですが、

私は今これだけのアクセサリーを持っています。

ピアス6つ、指輪1つ、ブレスレット1つ


私は30才でピアスの穴を開けたのですが、ピアスを開けてから10年位は、色んな種類のピアスを買いまくり、ピーク時は50個くらい持っていました。

今思うと、当時の洋服に対する考え方と同じで、アクセサリーも日替わりで違うものを身に付けるものだと思い込んでいたし、洋服の種類に比例して、色合いとか雰囲気とかで種類を揃えてコーディネートしたいとも思っていたし、30代はまだ子供を持てる可能性が残されており、彼氏を作る可能性も捨てられていなかったため(笑)、「こんな風に見られたい」「素敵に見られたい」という煩悩が、洋服やピアスといったモノに投影されていたのだと思います。

しかし40代に入って、もう子供を持てる可能性がなくなると、彼氏なんて全く必要無くなりました。

また、自分の積み上げてきた能力や経験からありのままの自分で自信が持てるようになると、他人にどう見られるかなんてどうでもよく、「自分は自分」という自分軸で生きられるようになり、次第に煩悩を反映したモノたちを手放す方向にシフトしていきました。

アクセサリーも使っていなかったものや、似合わないものをどんどん手放して、今これだけに落ち着いたという感じです。

アクセサリーを全部手放さない二つの理由

なぜ、煩悩寄りのアクセサリーを全て手放さないのかというと、

一つは、単にこういったささやかなキラキラは自分の気分が上がって、モチベーションが上がるというのがあります。

ただし、これ見よがしアピールの大振りアクセサリーは趣味ではありません。

そしてもう一つは、「運気を上げるには、成功するには、艶(つや)を出せ」という教えを知ったからです。

「貧乏人の部屋はモノが多い」、逆に「金持ちの部屋はモノが少ない」という傾向と同じで、

「不運な人の顔はカサカサで艶がなく、土色のような地味なモノを身につけている」、逆に「運気の高い人や成功している人の顔には艶があり、明るいモノを身につけている」とのこと。

また、「土のような女性より、花のような女性の方が、他人から見ても心地が良い」という言葉を聞き、「確かに!」と思いました。

土を見るより、きれいな花を見たいですよね。

この娑婆の世界で運気を上げながら幸せに暮らしたいし、他人を不快にさせないのはもとより、どうせなら他人の目を喜ばせて心地よくさせるような余裕のある人間になりたいと思いました。

私が身なりで重要視するのは、なんと言っても「清潔」が一番で、オシャレかどうかなんてことはどうでもいいと思っています。ただ、自分に似合っていて調和してさえすれば。

基本的に着飾るオシャレには興味がないので、清潔なジーンズとシャツをベースとしつつ、

「花のような女性になる」という心がけについては、何よりもまずは笑顔、そして思いやりのある言葉、そして上機嫌になれるさりげないキラキラアクセサリーで演出していこうと思いました。

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