独りの元日。いつもの休日。

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こんにちは、まろです。

新年 明けまして おめでとうございます。

明けましたね〜

みなさんはカウントダウンから初日の出まで、年末年始を満喫されているでしょうか。

私は、昨晩の大晦日は22時に就寝し、朝起きたら新年でした。

若干筋肉痛の朝です。笑

私にとってはいつもの土曜日、いつもの休日です。

いつも通りの朝ごはん。山盛りサラダからスタートです。

なんでしょうか。

私は好きなものはずーっと食べ続けられるタイプで、毎日でも飽きずに、毎日美味しくいただいております。

今日も日差しが暖かく、穏やかな1日でした。

昨晩ベッドに入り、ふかふかの羽毛布団に包まれて、つくづく幸せを感じました。

というのも、NHKの年末特番で「新映像の世紀」というシリーズ番組を見たせいもあります。

様々な貴重な映像でこの100年の世界の歴史を辿るもので、多くの時間を占めていたのが、戦争や紛争など、決して目を背けてはいけない、忘れてはいけない歴史映像でした。

いかに今自分の置かれている状況がありがたく、幸せなものなのか。

こんな暖かな布団で安心してゆっくり眠られる状況。

ありがたいです。

平和は守らないといけないとつくづく思います。

平和なんて大きな話を語ると、一人の人間に何ができるんだと思考停止に落ち入りがちなのですが、私でもできる平和な行動として考えた結論は、

日常生活において、他人から嫌なことをされても反応しない。恨まない。復讐しない。慈悲の心で受け流す。

ということです。

争いは、一人の人間の度を超えた自己中心的な欲望から生じているのだと思うのです。

自分が正しい、自分さえ良ければそれで良い。。。

人間である以上、欲望、煩悩は捨てきれず、それを自制しながらうまく付き合っていくしかないのですが、それをコントロールできない一部の人間が周囲の人を不快にしてしまい、その周囲の人たちもそれに反応してしまって、どんどんその負の感情が連鎖して、争いに発展するのだと思うのです。

どこかでその負の連鎖を断ち切らないといけない。

ベストなのは、まだ小さい初めのうちに断ち切ってしまうことです。

人を変えることはできないので、そういった不愉快な人に出会った時の自分が変わるしかない。

自分が反応せず、受け流してしまえば、そこで何も生じません。

世界中の人たちが、そういった一定数発生してしまう自己中心的な人を受け流して、慈悲の心で見守ることができれば、争いは起きないと思うのです。

と、机上で考えてはいても、実際に自分が度を超えた被害を被った場合、そういう心情でいられるものかは正直わかりません。

でも、こういう考えを持っていたということは頭の片隅に留めておきたいです。

この文章を書きながら、頭の片隅にずっとあるのは、今の職場の自己中な部長のことです。笑

部長は、自分の成果のために、自分が上から認められたいために、部員は自分の指示で動く兵隊や駒としか考えておらず、そのため仕事量が増えても、それは部員たちの生産性が低いからなんとかしろという自己中な人間なのです。

彼を受け流す。。嫌なことされても受け流す。。

そう自分に言い聞かせると、少し冷静になることができて、次のようなことも想像できたりします。

部長も、幼い頃は両親から可愛いがられて、幸せになって欲しいと願われて育ったと思うのです。でも、成長する中で、周囲の環境が部長を自己中心的な人間にしてしまった。誰も部長に自己コントロール方法を教えてくれなかった。部長のせいではないと。。。

受け流す。受け流す。。。

正月から不快な部長のことを考えてしまうこと自体、全然受け流せていないのですが。。。

これが修行なのでしょう。

でも、私にできる平和な行動はこういうことだと思うので、憎しみの芽を発生させないように努力しようと思います。

同様に、NHKの年末特番で「ドキュメント72時間」のベスト10をやっていました。

私はこの番組が好きなのですが、同時に番組のテーマソングである

「川べりの家」(松崎ナオ)の次のフレーズにいつもはっとさせられて、自分を戒めるフレーズになっています。

「幸せを守るのではなく、分けてあげる。」

良かったら聴いてみてください。

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