禅と掃除

手放す、掃除、片付け

こんにちは、まろです。

12月は、どこもかしこも「大掃除」というキーワードが飛び交うため、益々掃除や片付けがしたくなりますね。

改めて、禅語をベースに掃除・片付けの原点を考えてみたいと思います。

禅語:放下着 ほうげじゃく

片付けの原点は「捨てること」にあります。

禅語「放下着」では、「捨てて、捨てて、捨て切ってしまいなさい」と説きます。

これには、一つ捨てることで、一つ執着から離れることができ、心を縛っている物事から自由になるということの重要性が込められています。

モノを手放すかどうか考える時、そこには何らかの執着があり、結局その執着を手放せるかどうかなのです。

確かにその通りで、私も卒業アルバムを捨てた時、最後まで「若かりし頃の自分」という執着に縛られていました。

過去を振り返って「あの頃は良かった」と郷愁に慕ったところで、若さは戻らないし明るい未来はやってきません。

そういった執着を手放し、過去から解き放たれて自由になり、これからの可能性、前だけを向いて歩いていきたいです。

禅語:本来無一物 ほんらいむいちもつ

私たちは何も持たずに生まれてきました。それが人間の本来の姿であるという言葉です。

生きている間に色々なモノを手に入れ、身にまとい、まとったものは自分が生きてきた証だから手放したくないと思ってしまいます。

まとったモノを手放しても、失っても、本来の姿に戻っただけで、命を終える時には何もモノは持っていけない、持っていけるのは思い出だけなのです。

禅語:脚下照顧 きゃっかしょうこ

脱いだ履き物を揃えましょう、足下をしっかりみましょうという言葉です。

足下=今その瞬間、目の前のやるべきことをやっていくというのが禅の根本になります。

目の前には必ずやるべきことがあり、それをやらないのは、大切な「今」をおろそかにすることになるのです。

大切な「今」の積み重ねが人生であり、今に目を向けて、今この瞬間の足下から一歩を踏み出していく。それを継続するだけです。

掃除や片付けをしようとする時、段取りを考えていると「億劫だな〜」とか「面倒だな〜」という感情が浮かんできて、ついつい後回しになってしまいがちですが、その感情が浮かぶ前に、とにかく行動する。とにかく手をつける。

掃除や片付けは、ためずに毎日やるのが結果的に一番効率的で楽なのですよね。

部屋は心の状態を映す鏡

禅語ではありませんが、掃除や片付けをしたくなる言葉の一つです。

今部屋中を眺めてみて、部屋がどのような状態になっているでしょうか。

この言葉通りではないでしょうか。

しかし、ガッカリすることはありません。

人は環境の一部であり、部屋を整えれば、心も整ってくるのです。

床を磨けば、心も磨かれてくるのです。不思議です。

↓私のモチベーションが上がる禅寺の廊下の写真

たとえ古くても、毎日ていねいに磨き上げれば、こんなにツヤツヤな廊下になるのですね。

きれいなところは汚れない、汚れたところはさらに汚れる

これも禅語ではありませんが、きれいなところは汚したくないと思って取り扱いも丁寧になるし、もし汚してしまったらすぐにきれいに拭いて元に戻そうと思いますが、元々汚れていたらぞんざいに扱ってしまい、更に汚れてしまっても特に気にせずそのままになってしまいがちです。

自分が過ごす場所、使うモノはキレイに保つというのが、結果的に汚さないためのコツですね。

色々ごちゃごちゃ語ってしまいましたが、

みなさん、今すぐに目の前の小さな掃除・片付けをしましょう!

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